以下は文学者で登山家でもあった深田久弥氏の「日本百名山」より、八ヶ岳にかんする文章である。八ヶ岳は深田氏にとって色々な意味で感慨深い山であったように推察される。

 尚、深田氏は、八ヶ岳をもちろん「日本百名山」の中に挙げているのだが、それは赤岳や権現岳、阿弥陀岳、といったひとつびとつを別個に連ねるのでなく、八ヶ岳をひとつの山とみなしているかのように、ぽつんとひとつ、入れているのである。
 中央線の汽車が甲州の釜無谷を抜け出て、信州の高台に上り着くと、まず私たちの眼を喜ばせるのは、広い裾野を拡げた八ヶ岳である。全く広い。そしてその裾野を引きしぼった頭に、ギザギザした岩の峰が並んでいる。八ヶ岳という名はその頭の八つの峰から釆ているというが、麓から仰いで、そんな八つを正確に数えられる人は誰もあるまい。

 

 芙蓉八朶(富士山)、八甲田山、八重岳(屋久島)などのように、山名に「八」の字をつけた例があるが、いずれも漠然と多数を現わしたものと見なせばいいのだろう。克明にその八つを指摘する人もあるが、強いて員数を合わせた感がないでもない。詮索好きな人のために、その八峰と称せられるものを挙げれば、西岳、網笠岳、権現岳、赤岳、阿弥陀岳、横岳、硫黄岳、峰ノ松目。

 

 そのうち、阿弥陀岳、赤岳、横岳あたりが中枢で、いずれも二千八百米を抜いている。二千八百米という標高は、富士山と日本アルプス以外には、ここにしかない。わが国では貴重な高さである。この高さがきびしい寒気を呼んで、アルピニストの冬季登山の道場となり、この高さが裸の岩稜地帯を生んで、高山植物の宝庫を作っている。

 

 最高峰は赤岳、盟主にふさわしい毅然とした見事な円錐峰である。ある年の十一月初めの夕方、私は赤岩(硫黄岳西南の二六八〇米の岩峰)の上から、針葉樹に埋れた柳川の谷を距てて、この主峰を眺めたことがあるが、降ったばかりの新雪が斜陽に赤く、まるで燃えているように染まって、そのおごそかな美しさといったらなかった。

 

  岩崩(く)えの赤岳山に今ぞ照るひかりは粗し眼に沁みにけり 島木赤彦

 

 八ヶ岳のいいところは、その高山地帯についで、層の厚い森林地帯があり、その下が豊かな裾野となって四方に展開していることである。五万分の一「八ヶ岳」図幅は全体この裾野で覆われている。頂稜から始まる等高線が、規則正しく、次第に目を粗くしながら、思う存分伸び伸びと拡がっている見事な縞模様は、孔雀が羽を拡げたように美しい。そしてその羽の末端を、山村が綴り、街道が通り、汽車が走っている。

 

 その広大な斜面は、野辺山原、念場原、井出原、三里原、広原、爼(まないた)原などに区分されて、一様のようでありながら、それぞれの個性的な風景を持っている。風景というより、むしろ雰囲気と言おうか。例えば高原鉄道小海線の走る南側の、広濶な未開地めいた素朴な風景と、富士見あたりの人親しげな摺曲の多い風景とは、どこやら気分が異なる。高原を愛する逍遙者にとって、八ヶ岳が無限の魅力を持っているのは、こういう変化が至る所に待っているからだろう。

 

 昔は信仰登山が行われていたというが、現在ではそういう抹香臭い気分は微塵もない。むしろ明るく近代的である。阿弥陀とか権現とかいう名前さえも、私たちに宗教を思いおこさせる前に、ヨーデルの高らかにひびく溌剌とした青年子女の山を思い浮ばせる。

 

 それほど八ヶ岳は若い一般大衆の山になった。広濶な裾野、鬱然とした森林、そして三千米に近い岩の頂――という変化のあるコースは、初心の登山者を堪能させる。しかもその頂上からの放射線状の展望は、天下一品である。
どちらを眺めても、眼の下には豊かな裾が拡がり、その果てを限ってすべての山々が見渡せる。すべての山々? 誇張ではない。本州中部で、この頂上から見落される山は殆んどないと言っていい。

 

 八ヶ岳の細長い主稜線は、普通夏沢峠によって二分され、それ以北が「北八ッ」という名で登山者に親しまれるようになったのは、近年のことである。北八ッの彷徨者山口耀久君の美しい文章の影響もあるだろう。八ヶ岳プロパーがあまりに繁昌して通俗化したので、それと対照的な気分を持つ北八ッへ逃れる人がふえてきたのかもしれない。

 

 四十年前、私が初めて登った時は、八ヶ岳はまだ静かな山であった。赤岳鉱泉と本沢温泉をのければ、山には小屋など一つもなかった。五月中旬であったが登山者には一人も出会わなかった。もちろん山麓のバスもなかった。

 

 建って二、三年目の赤岳鉱泉に泊り、翌日中岳を経て赤岳の項上に立った。横岳の岩尾根を伝って、広やかな草地の硫黄岳に着き、これで登山が終ったとホッとしたが、それが終りではなかった。そのすぐあとに友の墜落死というカタストロフィーがあった。

 

 今でも海ノ口あたりから眺めると友の最後の場であった硫黄岳北面の岩壁が、痛ましく私の眼を打ってくる。

 

――新潮文庫 「日本百名山」 深田久弥 著